DSCC中部の歴史
DSCC回顧録 ❶【1987〜1990】
第1回目のDSCC中部回顧録はZ31からZ32への移行期、1987年頃から1990年頃までを思い起こしてみようと思います。
1987年と言えば、私が初めてZ31を購入した年でした。同時期に同僚がS130を購入し、そのS130を買ったショップの常連で、パールホワイトとゴールドのツートーンS130のお客さんからZのツーリングに誘われたのがDSCCを知る切っ掛けでした。実はこの方が当時のDSCC愛知支部支部長でしたが、誘われたツーリングは欠席され、そのままZを降りられたことで一度もツーリングでお会いすることはありませんでした。
話は戻りますが、Z31購入前まで乗っていたホンダ・プレリュード(二代目AB型)は、マーカーやエンブレムをヨーロッパ仕様に変更していました。そんなこともあり購入したZ31も輸出仕様にと、当時日産の逆輸入パーツを扱っていたジャパン・ダットサン・サービス関西様へ通うようになったのです。初めてお邪魔したとき、その駐車場に見たこともない形、色のZ31が置いてありました。右ハンドルでしたが、フロントのブリスターフェンダーとリアのオーバーフェンダーがとてつもなく格好良く、更に薄いブルーメタリックと薄いシャンパンゴールドのツートーンカラーというこれまたオシャレなもので、正直度肝を抜かれたとはこの事でした。後で知ったのですが、皆さんご存じのアニバーサリー仕様と言うやつですね。そして、お店にはZ31白とゴールドのツートーン2by2のアニバーサリー仕様、Z31白黒ツートーン2by2のアニバーサリー仕様、Z31赤黒ツートーン2by2のアニバーサリー仕様などなど次々に来店し、そのお店がDSCC関西支部の事務局であったことを知ったのでした。DSCC関西支部の活動は盛んで、ツーリングはもちろんジムカーナー大会なども開催しており、DSCC愛知からも数台が参加させてもらっていました。
その頃、DSCC愛知では支部長不在のまま、事務局のチャーリー浜こと関西弁の中尾さんがツーリングの企画から運行を一手に担っており、毎月届く手書きのハガキを楽しみにしていたものです。更に中尾さんは、ツーリングの数日前には全クラブ員に電話連絡を行い、ツーリングの参加を促していました。ただ、全員と言っても30人くらいだったと思いますので、実際にツーリングへの参加台数は10台前後だったと思います。その後、中尾さんより和合さんが支部長、私が副支部長と任命され、更に名前もDSCC愛知支部から現在のDSCC中部へと移行していきます。
この頃は、無線で連絡を取りながらツーリングを行うというのが一般的で、DSCC中部だけで無くDSCC関西やその他の支部も同じだったと思います。そんな中DSCC本部は、当時まだ普及し始めたばかりの車載電話で連絡を取り合っていたのには驚きました。本部ツーリングはまさに別格で、見たことのないような珍しいZが多数存在し、毎回参加するのが楽しみだったことを覚えています。また当時は本部ツーリング以外でも、DSCC関西、DSCC静岡、DSCC四国、DSCC中国、DSCC山口などの近隣支部とも頻繁に交流をはじめた時期でもありました。
1989年の7月にZ32が発売され、Z32での新入会員が急増した中、DSCC中部ではもう一つの現象が起こっていました。それは、左ハンドル(逆輸入車)のメンバーが急増したことです。それまでZ31-50th AnniversaryモデルやZ31-86年モデルなどの逆輸入車は、本部ツーリングで本部会員の方が乗っているのを見かける程度だったのですが、他のクラブからDSCC中部は左ハンドルのクラブだと思われたほどの台数でした。S130、Z31の84年モデル、50th Anniversaryモデル、86年モデル、87年モデルなど、幅広いモデルの逆輸入車が多数存在していました。
DSCC中部の会員数も増え、ツーリングでも多くの台数が集まるようになり、クラブで初めての一泊ツーリングも行いました。ただ、初めての一泊ツーリングはZ31が3台、岐阜県の乗鞍スカイラインを越え、長い下り坂終点の料金所でブレーキが効きにくかったこと、どこかの温泉宿の狭く暗い露天風呂に男3人で入ったことなどを覚えています。
この頃私はDSCC中部に加え、DSCC本部とDSCC関西に在籍していました。DSCC関西では年に数回、会報誌が発行されており、それが楽しみで入会していたのですが、ある日DSCC関西事務局の奥様から「中部支部も会報誌作れば?」の一言で、1990年3月にDSCC中部会報誌を創刊したのです。あれから32年、作り手は変わりながらも今号で60号の発行を迎えることができました。
Z31全盛期からZ32への移行期は、アナログながらDSCC中部として一つの盛り上がりを見せた時代と言えるでしょう。
(記:会員番号 002 宮武美弘)
DSCC回顧録 ❷【1990〜2000】
1990年代に入り、Z32が発売されたこともあり会員数が多くなってきました。それに伴い、DSCC中部としても体制が整ってきた時期だと思います。毎年の役員選出や会計報告、年間の予定など組織として確立していきました。
この記事を書くにあたり過去の会報誌を見返していましたが、1991年7月発行のNo.6会報誌を最後にわたしは一旦編集から外れました。この時の支部長は和合さんでしたが、記事の中に現支部長である小寺君が90年10月に入会しました!と言う記事が載っていおり、これから結婚します!のコメントと、今からは想像できないスラッとした小寺君の写真が掲載されていました。
この後約3年間、会報誌は三重県の笠井君に担当していただきました。この3年間でNo.7〜17号の会報誌が発行されていますので、年に4回というかなりのハイペースで発行されたことになります。
そして、No.18会報誌からまたわたしが編集に携わることになり、それまでワープロで原稿を作り、コピー機で印刷、ホッチキス止めというアナログ作業から一転、パソコンのDTPソフトで原稿作成、印刷会社へ発注することになり、モノクロではありますが一気にクオリティがアップしました。
1992年にはジャパン・ダットサン・サービス中部が半田市にオープンしました。今の様にインターネットもなく、日産の輸出用パーツを購入するには横浜か大阪まで行くしか無く、中部地方のユーザーには朗報でした。また、クラブ員が集まりBBQなどして交流を深める場所でもありました。
今はなくなったナイトツーリングが始まったのもこの時期です。また、ツーリングだけでなく食事会や、スキーツアーなども計画されていました。この頃のナイトツーリングは、後に高速のSAで集まる様な規模ではなく、茶臼山や滋賀県の若狭湾まで遠征する本格的なツーリングの規模でした。
今では当たり前となったインターネット。1996年8月発行の会報誌では、インターネットとはどういうものなのかの説明や、Home Pageの可能性について紹介したページがありました。中でも笑えたのが「インターネットにはE-Mailと言うものがあり、メールと共にデータも送れる」と、今では子どもでも知っている事を細かく紹介しています。
その後、1996年12月にDSCC中部のHome Pageが公開されました。この時点で他のフェアレディオーナーズクラブのHome Pageは検索サイトでも確認できず、DSCC中部が国内では最初の登録だったことを記憶しています。その1ヶ月後の1月2日より中部の名前を消し、DSCC全体のページとして運用することになりました。
それまでの会員募集活動は、月刊のカー雑誌に掲載するか、走っているZを呼び止めるというゲリラ的なものでしたが、Home Pageで会員募集することの効果は絶大で、Home Pageから入会するメンバーが急激に増えていった時代です。
また1997年の本部、中部、関西合同のつま恋ツーリングでは、初めてMr.Kこと片山豊様がツーリングに参加くださいました。DSCCとのお付き合いはこの辺りから頻繁になって行ったと思います。
そしてこのころ大きな話題になっていたのが、フェアレディーZ生産中止のニュース。初めは噂話と聞いていましたが、その後色々な雑誌で取り上げられる様になり、徐々に真実味をおびてきていました。
1999年3月、DSCCのクラブ発足30周年を記念し、第一回All Japan Fairlady Meetingつま恋が開催されました。DSCC本部が主催し、参加資格は「フェアレディを愛するもの」という、クラブの枠を越えたイベントで全国から500台以上のフェアレディが集合しました。このイベントにも片山豊様の参加を頂きました。今では大きなフェアレディミーティングが定期的に開催されていますが、このAll Japan Fairlady Meetingはその走りだったと思います。
さらに、2000年6月には第二回All Japan Fairlady Meetingつま恋も開催され、毎年の恒例行事となることを期待されていましたが、この後しばらく開催されることはありませんでした。
そして2000年8月、正式にZ32の生産が終了し、事実上日産の看板からフェアレディーZの文字が消えた瞬間でした。
しかし、DSCC中部だけでなくその他のオーナーズクラブやオーナー個人の元気と勢いはありましたので、相変わらず各地でイベントやツーリングは頻繁に行われていました。「日産に元気がない分、自分たちで盛り上げよう!」と、より一層楽しんでいた様に思えます。
DSCC中部でも、Welcome Meetingと題し、各地区の持ち回りで場所を変え毎月開催されるようになったのもこの時期です。
(記:会員番号 002 宮武美弘)
DSCC回顧録 ❸【2001〜】
■2001年(平成13年)
私が入会したのはこの年10月のウェルカムミーティングでした。ウェルカムミーティングを知るきっかけはインターネットのWEBページからでしたが、当時はまだ雑誌とネットが競っていた時代だったと思います。ですので、雑誌に掲載されているZ特集の記事からDSCC中部のURLを手打ちで入力して(何回か入力間違いを繰り返したのちに)WEBページにたどりつく感じでしたね。
さて、ウェルカムミーティングに話を戻します。初めてオーナーズクラブというものに参加した時の印象は、それまで見たこともない、左ハンドル車、フルエアロ、内装、外装色など、見るものすべてが別の惑星のようでした。そんな状態ですのでその場で入会を申し込み、翌月のツーリングに興奮さめやらぬまま初参加するのでした。
入会時にいただいた会報誌やステッカーを大事に持ちかえって読み漁ったのを思い出しますし、ステッカーを貼ったZを眺めてはオーナーズクラブに入ったことを友達に自慢していましたね。
その年の12月に富士スピードウェイで開催されたニスモフェスティバルにも参加させていただきました。当日はZ33の発表も行われDSCC本部他多数のクラブが参加してパレードランが行われました。(入会してすぐでしたので、ニスモフェスティバルでみたZ軍団はさらに強烈なインパクトでした)
■2002年(平成14年)
おそらくオーナーズクラブとしては初めてのTV-CFが流れた年ではないでしょうか?!早朝より撮影に出向き、まだ工事中で全線開通していない伊勢湾岸自動車道を往復したことが思い出されます。
そして、Z33発売記念イベントとして、愛知県岡崎市でのZcar Meeting for Owners &Fansが開催されました。DSCC中部が主催した初めての大規模なミーティングではないでしょうか?ちなみに私、このイベントで夫婦そろってイベント中に散髪してもらい、新しいお洋服をいただいた嬉しくも恥ずかし思い出がございます。今ではいただいたパンツをはくことができない体系となってしまいましたが・・・。
■2003年(平成15年)
このころからDSCC中部が主催、または協賛したイベントが年に数回行われるようになりました。スープラvs Z+ドリームカーショー、ドリームカーミーティング、POKKA1000km鈴鹿Zcarパレード、ドラッグエンペラー0-200mチャレンジなどです。もちろんツーリングやウェルカムミーティングもほぼ毎月開催されていました。活発に活動しているクラブに入会したことで、毎月その日が来ることが楽しみでした。
そして、私自身も個人のホームページなるものを開設し、ツーリングやイベントのレポートやZの修理やカスタムを掲載していました。デジタルカメラが一般に流通するようになってきたころです。
■2004年(平成16年)
この年はDSCC本部主催のオールジャパンフェアレディミーティングinつま恋が開催されました。おそらく、全国規模でのミーティングの先駆けになったのではないでしょうか。700台?以上のZがつま恋に集結し、イベント広場に入りきれなくて進入路にまであふれたことは今でも語り継がれていますね。
ツーリングはもとより、お泊りの忘年会なども開催されていました。
■2005年(平成17年)
この年はDSCC中部主催のイベントとして記念すべきK’z meeting in HARUNOが開催された年です。ご存じミスターK生誕の地である静岡県春野町にて、DSCC中部が主催し、自治体、日産自動車などの協力、協賛を得て行われたものです。自画自賛ではありますが、オーナーズクラブとしての知名度が飛躍的に上がったイベントではなかったでしょうか?このイベントをきっかけにイベントと言えばDSCC中部、みたいな認知がZ界隈ではあったとかなかったとか・・・。
また、この年には鈴鹿サーキットでパレードも開催されています。ツーリングが定期的に開催されているなかで、イベントも同時進行で行われていたことに、当時の役員やクラブ員の熱量はすごいものがありますね。会報誌やイベントグッズの発行頻度が多くて、記念ステッカーやTシャツ、グッズなどを購入するのも楽しみの一つでした。
■2006年(平成18年)
この年は私事ではありますが、350Zを購入した年でもありました。DSCC中部に入会したときから一番衝撃的だったのは左ハンドルのZでしたから、いつかは左ハンドルのZに乗りたいなと思っていました。
5月には鈴鹿サーキットでのパレードが開催され、そしてこの年の8月には神奈川県の座間にて米軍キャンプ地内での夏祭りイベントにも参加させていただきましたね。初めて入る米軍キャンプ地内でZを並べて展示できるなんて後にも先にも・・・。
■2007年(平成19年)
この年も私事ではありますが、単身赴任開始の年となりました。念願かなって左ハンドルのZを購入した翌年でしたのでサラリーマンはつらいです。しかし、同年にあるミーティングがご縁となりまして私のZがHKSさんの開発車両として貸し出されることになったのでした。
スポーツカーが減少していく中で、まだまだ元気な時代でした。Zcar Owners Club JAPAN SUZUKA meeting2007、オールジャパンフェアレディミーティングつま恋(DSCC本部主催)、SUNSETパレードin SuperGT SUZUKA1000kmなどイベント満載の年でした。
私自身も、会報誌への寄稿や写真提供もこのころからで積極的にクラブ活動に参加していたころです。
■2008年(平成20年)
この年からクラブの企画制作室を担当させていただいたり、副支部長に任命された年でもありました。
ZcarPARADE in Super Taikyu SUZUKA 500kmも開催され、鈴鹿サーキットでのパレードも定番になっていました。
ミスターKオフィスにDSCC中部の副支部長として訪問した年でもありました。凄く緊張して何を話したのかもおぼえていませんが、オーナーズクラブの代表としてミスターKオフィスに招かれて会談させていただいたことは一生忘れることはないでしょう。
(記:会員番号 274 木村憲太郎)
DSCC回顧録 ❹【2009〜】
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